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『おかえりください』(日野裕太郎・おおぬまひろし)

【ホラー短編】
学校の七不思議とともに、こっくりさんの惨劇が蘇える。
閉じこめられた深夜の廃校で、まどかを襲う血みどろの記憶。

文庫 約41ページ(1ページ 39字詰め 18行)

「そういえばさ、かごめかごめの七不思議もあったよね」
まどかは誰かの手をにぎりながらいう。
あったあった、と誰かがこたえた。

昔転入生がいて、クラスメートたちでかごめかごめをして遊んだ。
うしろの正面だぁれ。
鬼になった転校生は、まだクラスメートの声だけでは相手を判別できなかった。

夕方になってもまだ転校生は鬼だった。
また明日も鬼からはじめる、といって帰った転校生は、川に転落して帰らぬひととなった。

以来校内でかごめかごめをすると、鬼の転校生が現れる。

【ブログや掲示板で取り上げていただきました】

» 青春ホラー小説『おかえりください』不幸すぎる学校の七不思議ーキンドる速報
伏線は物語のいたるところに仕掛けられており、一度の読了ですべて回収するのは困難でしょう。しかし、最終的に解決するのでご安心ください。本当の恐怖は、すべてを知ったあともう一度読む二周目から迫り来るのです!

【サンプル】

 一 学校の七不思議
 
 暗くて静かで、教室は湿っている。
 まどかは砂でじゃりじゃりする床板で正座し、周囲の物音に
注意をはらった。
 部屋に入ったときには、かびくさいいやなにおいがしていた
が、もう気にならない。
 窓から入る明かりは頼りなかった。ガラスは汚れている。窓
際に積まれた机や椅子、段ボール箱に巻きこまれ、半端にぶら
下がるカーテンはまったく動かせない。
 電気は通っていないし、通っていても蛍光灯自体外されてい
たと思う。
 持って来た懐中電灯は、駆けこんだときに取り落とした。衝
撃があったのか、もう点灯しなくなっている。
 故障した事実を受け入れられず、まどかは何度も懐中電灯の
スイッチを入れてみる。
 点かない。
 涙が浮かび、鼻をすすった。
 天井を見上げる。どこもかしこも暗い。わずかでぼんやりし
た採光でも、室内に落ちる影は黒々としている。いまが何時な

のかもわからない。
 身をかがめ、腕をのばす。
 暗がりにあるものにぶつからないよう進み、まどかは戸口に
向かう。
 戸に手をかけ、全体重をかける。
 みしみしいうだけで、戸が開く様子はなかった。
「誰か!」
 戸を手のひらで叩き、誰かいないか呼びかける。いくら叫ん
でも、返事はない。
「戸が開かないの、ねえ、誰もいないの!?」
 誰も戻って来ない。
 まどかは肩で息をした。
 胸が不安で重苦しい。
 ふいに泣き出しそうになって、まどかは歯を食いしばった。
 
 
 進学で上京していた友人らが帰省し、母校探検にくり出した
のがはじまりだ。
 夏休みの期間に改修工事がはじまるため、一ヶ月もすれば思
い出深い学舎は消えてしまう。工事のまえに学校を見に行こう

という運びとなった――せっかくだ、肝試しをついでにやろう、
といい出したのは誰だったか。
 田舎の道を連れ立って歩いた。
 まどかは町に残ったため、外で新しい環境に身を投じた友人
たちの話は、どれもおもしろかった。
 懐中電灯を片手に、車で出て来なかったことに誰かが文句を
いった。
 道は暗く、人家の明かりは遠い。わきの木々は夏に旺盛な成
長を見せ、星空や点々と灯る街灯の光をさえぎっている。
 コンビニ行こう、と誰かがいった。
 寄り道をすると、肝試しをして帰宅するのは夜半になる。ひ
さしぶりに顔を合わせた高揚感で、門限について誰も言及しな
かった。道半ばで、コンビニが閉店時間を迎えている、とまど
かは気がついた。町の外では、二十四時間営業のコンビニや飲
食店がある。
 町で暮らしているまどかには、現実味がない。
「そんな遅い時間にやってても、誰も行かないんじゃない?」
 疑問を口にすると、それがやってると案外行くんだってば、
と誰かが笑った。
 暗い道、笑う声に合わせてまどかも笑った。たいして意味も

ない、重要でもない話をだらだら話す。昔とおなじでまどかは
楽しかった。おそらく明日になれば、なにを話したかろくに思
い出せない。だけど楽しい。それでいいのだ。
 到着した小学校は、通っていたころより建物そのものがこじ
んまりして見えた。
 校舎を囲む鬱蒼とした木々は、記憶のなかのそれよりも、ず
っと成長しているようだった。枝をのばし葉をしげらせる周囲
の木々を、「森」と児童たちは呼んだ。昔からそうで、まどか
が卒業してからもそうらしい。
 児童数は年々減る一方で、となり町の小学校と統廃合になる。
そのための工事だ。学校の名前も変わってしまう。
 校内の荷物は、週末にはあらかた運び出される算段だった。
なかが空になったら、本格的な工事に入る――町の住人は誰で
も知っている情報だ。
 誰かが校舎のまわりを一周して帰ろう、とのんびりした声を
出した。
 
 生ぬるい夜気のなか、懐中電灯で足元を照らしながら歩いた。
 校舎の裏にまわると焼却炉があり、誰かが焼却炉で燃やされ
た猫の呪いの話をはじめた。七不思議のひとつで、怖さよりな

つかしさが勝る。焼却炉に生きながら投げこまれた猫の霊が、
焼却炉で絶叫をするそうだ。誰かが焼却炉の扉を開けた。それ
こそ猫の声に聞こえなくもない、きしんだ大きな音が上がった。
 なんとなく笑いながら先を行く。
 大きな松の木のシルエットに、首を吊った用務員の話を誰か
がはじめる。
 病苦だったか、ロープを枝にくくって首を吊った老齢の用務
員は、なかなか絶命しなかった。枝が折れて落ち、用務員は頭
を打って命を落とした。用務員の霊のせいで、木の近くで遊ぶ
と転んで頭を怪我すると七不思議にあった。誰かがふざけて松
の木を中心にスキップする。
 かごめかごめでもするかと、ほかの誰かがスキップする誰か
の手を取った。みんなで円になり、松の木を取り囲む。
「そういえばさ、かごめかごめの七不思議もあったよね」
 まどかは誰かの手をにぎりながらいう。
 あったあった、と誰かがこたえた。
 昔転入生がいて、クラスメートたちでかごめかごめをして遊
んだ。うしろの正面だぁれ。鬼になった転校生は、まだクラス
メートの声だけでは相手を判別できなかった。夕方になっても
まだ転校生は鬼だった。また明日も鬼からはじめる、といって

帰った転校生は、川に転落して帰らぬひととなった。
 以来校内でかごめかごめをすると、鬼の転校生が現れる。
 輪の中央にある松の木に向かって、誰かが楽しげな声でいう。
ここに木があるから、転校生も化けて出られないんじゃないか
な。鬼の居場所を、木が取っちゃってるんだし。
 いちぬけた。誰かが輪を外れた。なんだか楽しい。
「にぃぬけた」
 まどかも笑いながら輪を出た。
 校舎の周囲は雑草が生い茂り、追いすがるような蚊の羽音が
耳障りだ。
 見上げた校舎の窓は、内部にたたえる闇そのままの黒だった。
 手を振る話もあったね、と誰かがいった。
 まどかは自然と、二階の窓を順々に目で追う。
 二階の窓に白い手があって、おいでおいでをするという七不
思議があった。手は現れず、ほっとまどかは息を吐いた。語ら
れる、その手につかまれると一生逃げられないという話の真偽
を確かめずにすみそうだ。
 まどかの目に一階のはじの窓が映った。木材が立てかけられ
ているが、窓は閉じていない。暗い隙間があった。
「ねえ、あそこ」

 窓が開いていることを告げると、誰かが入ろう、とほかの意
見を求めない声でいった。制止する間もなく、窓はがたがた騒
々しい音を立てて開けられていく。その音を聞きつけて、どこ
かに残っていた学校関係者が顔を出し、怒られるのではないか、
とどこか幼い危惧を抱いた。
 だが誰もおらず、開いた窓から校舎に入る。まどかも続いた。
 工事で姿が変わる学舎を、ぜひ一目見ておきたかった。
 
 夜の校舎に入るのははじめてだ。誰かに見咎められるのでは、
という危惧は頭のすみにこびりついていた。しかし校舎への侵
入と、友人らとひさしぶりに行動することで高揚し、まどかは
後ろめたさに取り合うのはやめた。
 校舎に入ったところで、懐中電灯は最小限に、と誰かがいっ
た。光がもれて、見つかるかもしれないからだ。だが誰かが笑
った。通行人などないだろう。まどかもつられて笑う。夜にな
っての外出など、最近では滅多になかった。
 見つからないように、といいつつも、懐中電灯のまるい光は
床窓壁天井、と縦横無尽に走りまわる。天井が案外低い。すべ
てが子供の身丈に合わせてつくられている。まどかは自分が異
様に大きくなった気がした。

 床板がきしむ。工事で、木からリノリウムに変えるそうだ。
スニーカーの靴底に、砂利みたいな感触があった。
 保健室行ってみようよ、と誰かがいった。廊下を曲がった先
のはずだ。
 居残り幽霊の話が保健室にあった。具合の悪くなった女の子
が、保健室で寝ていた。寝入っていた彼女をそのままに、保健
医が会議に出てしまい、その隙に変質者が侵入した。女の子は
連れ去られてしまい、無残な姿で見つかった。それ以来女の子
の幽霊が保健室に出るという。
 しかし保健室へ続く廊下は、高く積まれた机でふさがれ、進
めなくなっている。まどかは安堵とも落胆ともつかない気分に
なった。
 それなら、体育館に行こうよ、と誰かがいった。思い起こせ
ば体育館はまどかの好きな場所だった。体育館が好き、という
のではなく、体育館でしかできなかった卓球とマット運動が楽
しかったのだ。
 暗い廊下を、誰かが照らす懐中電灯だけを頼りにして歩いた。
窓から光は入って来ない。外になにか立てかけてあるらしかっ
た。
 体育館の戸は施錠されていた。防火扉っていうんだっけ、と

誰かがいう。まどかの記憶では常時開放されていて、閉じた戸
を見るのははじめてだ。がたがた力任せに揺すっても、鍵は外
れない。
 首バスケの音しないね、と誰かがいった。交通事故に遭い、
首と胴体がわかれてしまったバスケ好きの少年が、夜中に自分
の首でバスケをして遊ぶという怪談だ。ドリブルの音は水っぽ
く、聞く耳に痛みをもたらす音らしい。
 防火扉に耳をつけ、まどかはなかをうかがった。耳鳴りに似
た音が小さく聞こえるばかりで、だがそれは首バスケとは関係
ない。まどかはがっかりし、そして気を取り直して笑う。
 校舎内をうろうろする間に、どんどん暗くて怖い場所に――
なにかが起きてもおかしくない場所に、まっすぐ突き進んでい
る気がしていた。
 引き返す段になって、暗がりに沈む廊下と向き合った。まど
かは外に出たい、と自覚した。窓には内外問わず、木材なりが
立てかけられている。くすんで夜空の月や星のわずかな光も通
さない窓に、自然とまどかはため息をついていた。
 七不思議を全部知ると、祟られるんだっけ、と誰かが緊張し
た声を出した。しかし誰も返事をせず、七つ目の怪談を口にす
るものはなかった。まどかも七つ目は知らない。

 中学校に進学したときに、十も二十もある七不思議に驚いた
ものだ。本当は七つ目を知ってるんじゃない? と誰かが問い
を投げかける。まどかは返事を待った。誰もこたえない。
 スニーカーでかたいものを踏む音がする。ガラスだろうか、
じゃりっとこすれる音がした。風が強くなって来たのか、おも
てからは木の枝が校舎の壁を叩くような音が聞こえる。
 
「……もう帰ろうよ」
 妙に弱い声でまどかは提案した。誰かが同意し、誰かが渋る。
せめて最後に自分たちが使っていた教室を見よう、と誰かが提
案した。
 卒業時に使っていた教室は、二階のはじだ。ではそこをのぞ
いて、それから帰ろう。
 木の階段をのぼる。中学校では階段の段数が変わるという怪
談があり、高校では踊り場の鏡が異次元への入り口になってい
る、という怪談があった。
 二階に着くと、おもての風の音がやけに大きく聞こえた。暗
い隧道のような廊下を進む。廊下の窓には板が打ちつけてあっ
て、光が入って来なかった。廊下の一番奥まったところにある
教室を目指して歩くなか、一度まどかは背後を振り返った。

 来た道は暗闇に埋もれている。
 まどかはふいに怖くなった。唐突に家に帰りたくなった。校
舎に入りこんだのは間違いだと思った。突然あたりを取り囲む
闇は悪意を持っていて、おもてから聞こえる風の音は逃げ出す
よう警告しているのだと確信した。
 なつかしい学舎から一刻もはやく外に出ようと、まどかは早
足になった。すっかり怯えにからめ取られていたが、ここで肝
試しを休止しようとはいい出せないでいる。みんなで楽しんで
いるのに、ひとりびくついた顔は見せられない。水を差すよう
なことはいいたくなかった。
 足を踏み入れた教室は、物置になっていた。
 がっかりしたものの、目的を果たして気持ちが軽くなる。鼻
をついたにおいの正体をまどかがつかむまえに、誰かがカビく
せぇ、と笑った。どのあたりに机を置いていた、こんなにせま
かったか、と話す誰かの声は弱い。怯えを背負っているのは、
まどかだけではないようだ。
 こっくりさん、やったよね、と誰かがいった。違うよ、キュ
ーピッドさまだよ、と誰かがこたえる。守護霊さまじゃなかっ
たっけ、と誰かが続けた。ここでやる? 黒板使えばできるよ、
と誰かがいきおいこんでいった言葉に、まどかは思わず大きな

声を出していた。
「怖いからやめようよ」
 場がしんとする。
 たしかまえにもこんなことがあったな、といっそう耳に響く
風の音を聞きながら、まどかは思った。
 ひとり居残りをして、夕方に下校するときの静けさに似てい
る。思い起こしたものは寂寥に満たされていた――無人の校舎
が哀れだった。いまは違う。闇はちくちくとこまかいとげを持
っている。触れた部分にそっと食いこみ、離れようとしない。

 こんなにも自分は怯えていたのか。
「もう行こう」
 まどかは自分が荒い声を出すのを聞いた。
 同意はなかった。だが小走りに階段に向かう。懐中電灯の光
が交錯した。
 先を進む誰かが、言葉にならない声を上げた。
 そして恐慌は突然訪れた。
 誰かが悲鳴を上げる。
 まどかは驚いて身をかたくした。
 誰かが逃げろ、と叫んだ。

 まどかは硬直して動けなかった。
 誰かがこっちだ、ときびすを返した。
 まどかは状況を読めず、だが腕をつかむ誰かに抵抗しなかっ
た。
 階段に背を向けて、だかだかと床板を抜く勢いで走る。悲鳴
が聞こえた。まどかも悲鳴を上げた。
 なにが起きたかわからないが、頭のなかで怖い怖い怖い、と
甲高い警鐘が鳴っていた。
 誰かが途中の教室に逃げこんだ。まどかの腕をつかむ誰かの
腕が消えた。ひとりで教室に逃げこんでしまったのか、はたま
た途中の手洗いに消えたのか――さっぱりわからない。
 振り返るか迷ったとき、さっき出て来たばかりの教室の戸が
見えた。
 まどかは迷わず駆けこんだ。
 
 二 突然の暗闇
 
 音を立てて戸を閉めようとすると、手にしていた懐中電灯を
落とした。拾う間も惜しみながら、まどかは捻締錠を締める。
暗くて手元など見えず、何度も鍵を取り落とした。手がふるえ

てままならない。早鐘を打つ心臓が、胸をはじけさせて飛び出
て来そうだ。騒々しい音を立てながら鍵を締め、まどかは暗い
教室の奥に転がるように逃げた。足を取られ転びそうになった
が、いったい自分がなにから逃げているのかも知らずにいる、
と気がつくまでずっと身を縮めていた。
 壁一枚隔てたおもてでは、強い風が相変わらず吹いている。
 怖かった、と息をつくまでに、どれだけの時間が経っている
のかわからなかった。親から帰宅が遅いと催促されるのがいや
で、まどかは携帯電話を置いて出ていた。
 いまはもう怖くなかった――心細かった。
「誰かいない?」
 声をかける。
 怖いものはいない、と冷静になって思う頭は、それこそ本当
に誰もいないのだ、とまどかに告げた。
 物音は先ほどからまったくしていない。風や木の音はべつだ。
ひとの気配がない。木の床や階段を歩く音は聞こえない。
 声をかけながら、ゆっくり戸口に向かった。
 手探りで鍵をまさぐり、まどかは声をかけ続ける。
「ねえ」
 鍵は開いたはずだった。だが戸が動かない。いくら力をかけ

てみても、引き戸は揺さぶられてうるさい音を立てるだけだ。

「誰か!」
 引き戸の立てる音に負けない音量で呼びかける。返事はない。
手を止めて、まどかは何度か叫んだ。何度も叫んだ。こたえは
ない。誰かが戸の向こうにいる気配もない。
「ねえ、誰か!」
 心臓の鼓動が大きくなる。緊張して胸が苦しい。まさか、と
乾いた舌で言葉を続ける。まさか――みんな逃げて行ってしま
った?
 のどに痛みが走って咳きこむまで、まどかは叫び続けた。
 戸を叩き、開かないか何度も試す。暗くてよく見えない。目
が慣れても、鍵の状態がどうなっているものか――ただふるえ
る指で確認した感じでは、捻締錠は解錠できている。だがまど
かがそう思っているだけで、なかで錠が折れたりしているのか
もしれない。
「落ち着かなきゃ」
 戸の周囲をぺたぺたさわながら確認し、電灯のスイッチを探
す。
 壁に目的のものを探し当てたが、電気が通っていないようで

空しい音がするだけだった。暗いままの室内で、まどかは涙を
浮かべた。
「……落ち着くの」
 まどかは落とした懐中電灯を探す。
 自宅玄関に置きっぱなしになっていた、ラジオがついた大き
なものだ。持って出るときは大きさが気に障ったが、いまは見
つけやすくて助かった。
 しかし懐中電灯は故障したらしく、ただのプラスティックの
かたまりだった。点灯もしないければ、ラジオもつかない。
「落ち着かないと」
 暗がりで怪我をしないよう、慎重に歩く。窓辺に寄っておも
てをうかがうが、暗い上に汚れた窓ガラスは視界を阻む。
「落ち着こう」
 手のひらで窓ガラスをこする。こびりついたほこりはざらつ
いていた。内外どちらも汚れていたガラスは、若干きれいにな
ったくらいでは透過度は上がらない。目を凝らしても、おもて
で動く光が――まどかをさがす、誰かの懐中電灯があるように
は思えなかった。
「落ち着けばいいんだ」
 教壇近くにいたまどかは、教室の後部に行こうとして断念し

た。
 積まれた荷物は重く、また多い。下手に動かし崩れたときの
ことを考えて、まどかはぞっとする。暗闇で重量のある荷物に
潰されるのは、下手をすれば死亡事故になりかねない。
「落ち着いてないと……」
 まどかは動かない戸のまえで、すわりこんだ。
 何故か正座をして、誰かが戻るのを待とうと――そのときま
で落ち着いていよう、と自分にいい聞かせた。
 さっきの、突然上がった悲鳴と、訪れた恐慌を思い出す。先
達て感じた恐怖に、まどかは鳥肌が立つのを感じた。
 
 なにか、見えたのだろうか。
 逃げろという声を覚えている。動けないまどかをうながそう
と、腕をつかんだ誰かも走っていた。外に逃げ、まどかがいな
いと気がつき、戻って来るまでどのくらいかかるか。
 身じろぎすると、ジーンズが床ですれる。じゃり、と音を立
てた。
「落ち着くの、落ち着いてれば……だいじょうぶ」
 自らにいい聞かせるが、嗚咽が出そうになったまどかは、結
局押し黙った。

 何時間も経った気がするが、さほど時間が経っていない気も
する。
 ただ寒かった。
 目を閉じ体育すわりをして身体を折り、周囲の物音に耳を澄
ませた。ひとが来れば、床板がきしむ音がするはずだ。しかし
いつまで経っても足音は聞こえない。声も聞こえない。木立が
風に揺れる、騒々しい音だけが聞こえた。
 むきだしになっている腕をさする。日づけは変わっていると
思う。凍えた指先に、今日は熱帯夜になる、と天気予報士が朝
のニュースでいっていたのを思い出した。こんなに寒いのは、
木造の校舎のせいなのか。
 誰も迎えに来ない。遅すぎる。まどかが目を開けると、相変
わらずの闇があった。暗闇のなかに、吹き溜まるような重く暗
い荷物のシルエットがある。
 見ていると、うずくまった身体の大きな――不格好なお化け
を連想させられた。目を閉じる。余計なことを考えたくない。
話していた七不思議が頭によみがえる。あわててかき消した。

 なによりも怖いのは――置き去りにされていると確信するこ
とだ。

 いたずらのつもりなんだろうか? 夜の校舎に置いて行って、
どういうつもりなのだろう。
 まどかは鼻をすする。
 おそらく、とまぶたをぎゅっと閉じて考える。
 教室の鍵が壊れたなんて、誰も予想もしていないだろう。そ
のうちまどかが帰って来る、とのんびり構えて――どこかで話
しこんでいるかもしれない。
 いまはもう、じっと迎えを待つしかなかった。
 うかつに動いて、怪我をするのは避けたい。
 闇になにかがひそんでいるはずもない。影はただの影で、こ
ちらをうかがっているはずもない。気づくと七不思議を脳裏で
そらんじていた。子供じみた怪談話も――ひとり凍えながら思
い起こすと、いやに粘度を持ち、現実感をはらんだ。気のせい
だ、気の迷いだと振り払ってみても、気がつくとねばった手を
まどかの肩にかけている。
 風の音が一際大きくなって、まどかは窓辺をふりあおいだ。
濁った窓ガラスの向こうは見通せない。
 誰も来なかったら、と考えて、息を飲んだ。
 閉じこめられていると思いもせず、まどかがひとり帰宅した
と判断されたら? 自宅に確認もせず、解散してしまったら?


 だがまどかは思い直した。
 朝になれば工事の作業員がやって来るはずだ。そうしたら声
をかければいい。無断侵入について怒られるだろうが、実際ま
どかは反省していた。懲りている。たとえ機会があっても、も
う二度とやらない。
 だいじょうぶ、とつぶやいた声が情けなくて、まどかはかえ
って笑った。じっと待っていれば、朝にさえなればひとは来る
のだ。絶望視しなくていい。
 まどかはあくびをした。
 あくびが出て驚いた――図太いなぁ、とひとりごちる。
 ぼんやり風の音を聞き、何度か懐中電灯を試すが徒労に終わ
った。鼻歌を歌う。羊を数えてみる。
 系統立った思考を持とうとすると、置き去りの自分に意識が
行ってみじめになるので、すぐ思考を放棄した。
 結局ぼうっとしながら、時間が過ぎるのを待ち、そうしてい
るうちにうたた寝をしていた。
 
 三 こっくりさん
 

 ――こっくりさんこっくりさん、おいでになりましたら、鳥
居から十円玉にお入りください。
 きゃあきゃあいいながら遊ぶ、子供たちの騒ぐ声がする。
 明るい教室でひたいをつき合わせ、紙面をのぞきこんでいた。
描かれた赤い鳥居の上にある十円玉に指を乗せ、子供たちは他
愛のない質問をしていった。
 将来の夢はかないますか、遠足のバスで気持ち悪くならない
ようにしてください、おばあちゃんは長生きしますか、教頭先
生が保健の先生を好きって本当ですか――友人の声を聞きなが
らまどかは、おそるおそる切り出す。
「あたしも質問したい」
 ええ、どうしよっかな、ともったいぶった返事があった。
 引っこみ思案な性格のせいか、クラスの友人たちはまどかを
子供扱いする。下に見ている。いやだからやめて、とまどかが
訴えても、早生まれだからしかたない、と一刀両断された。ま
どかにはその理由は納得できない。早生まれなのは関係ないだ
ろう。不満に思っても、うまく言葉にできなかった。
 田舎町の小学校、クラスは一学年にひとつだけ。入学前から
全員顔見知りで、一度確立した人間関係は覆しがたい。クラス
替えもないため、それは卒業するまで続く。中学校に上がれば

クラスはふたつに増えるが、それまでの人間関係が継続するの
も珍しくない。
 こっくりさんをしている子のほかに、机の周囲で見守る子供
たちも一緒に、まどかに質問させてやるか思案するふりをして
いた。
 ――どうしようかな、どうしようかな。ほんとに訊きたいの
? なんか訊きたいことあるの?
 誰よりも大きな声で、そういう子がいる。あいちゃんだ。彼
女の家は柴犬と黒猫を飼っていて、ときどきさわらせてくれる。
まどかは動物好きだが、賃貸住まいで飼えない。あいちゃんの
機嫌を損ねると、もうあの暖かくてやわらかい毛並みにさわれ
ないのではないか。そんな不安でまどかは押し黙った。
 ――いいの? 質問ないの? ないなら、なんで質問したい
なんていったの?
 質問なんて関係なかった。あいちゃんはときどき執拗にまど
かをなぶる。まどかが返答に窮して黙りこむのがおもしろいの
だ。
 まどかにとっては楽しくない空気のなか、こっくりさんが続
行された。
 まどかは心のなかで、こっくりさんに質問をしてみた。

 十円玉は動かなかった。
 動くかな動くかな、とどきどきしながらまどかは見守る。
 まどかはそこで目を覚ました。
 かたく冷たく、だが湿った床から身を起こす。
 小学生のときの、こっくりさんをやっていた夢を見ていた。
目をこする。まだ教室は暗く、朝はほど遠いようだ。
 肩口についた砂粒をはらう。いい加減なにも考えずにいられ
る時間を過ぎていた。腹部に圧迫感があった。訪れた尿意に、
まどかは気持ちが暗くなる。
 三年生のとき、授業中に粗相をしてしまった女生徒がいた。
休み時間に手洗いに行き損ね、我慢できなかったのだ。以降ト
イレの話題になると、彼女はぴりぴりしていた――それは何年
も続いた。
 
 よっちゃん、とまどかはつぶやく。
 男子の揶揄と――女子の腫れものにさわるような態度。四年
生になったころ、よっちゃんは登校しても教室には寄りつかず、
保健室にこもるようになってしまっていた。
 相変わらず肌寒くて、まどかはなんとなく立ち上がった。寒
さと尿意を紛らわせないか、その場で足ぶみをしたりする。み

しみしぎしぎし、床がうるさい音を立てた。
 卒業前に取り壊されたが、一階はじの図工室横に渡り廊下が
あり、その先に小さな窯があった。授業で花瓶をつくり、そこ
で焼くのだ。
 活発でじっとしていられなかったあっくんは、渡り廊下で飛
び跳ね、音階を奏でるのが上手だった。飛び跳ねてメリーさん
の羊を奏でるうちに、板を踏み抜いたことがある。あっくんの
お父さんは用務員として働いていて、ほかの先生よりもはやく
現れ、悪さをする息子を叱り飛ばしげんこつをくれてやってい
た。
 あっくんが床板を踏み抜いたのがきっかけで、渡り廊下は取
りはらわれた。
 老朽化が進んでいて、子供が飛び跳ねたくらいで壊れては危
険きわまりない。手を入れるなら、修繕ではなく立て直しにな
る。
 先の件から一週間もすると、渡り廊下はなくなっていた。
 じっとしていられないあっくんは、揶揄の対象になりやすか
った。女子ならまどかで、男子ならあっくん。そのためまどか
は彼に親近感を覚えていた。好意的だったのだ。
 だからあっくんが転校生に恋をしたのを、誰よりもはやく気

がついた。
 転入して来たけいちゃんは、ボーイッシュな見た目と違い、
おとなしい女の子だった。口数が少なく、でもいわなければな
らないことはきちんという。
 まどかは彼女を尊敬していた。よどみなくすらすらと、自分
の考えをいえる。臆すことなく、相手に意見する姿はかっこよ
かった。
 あっくんとおなじくらいけいちゃんを好きになったまどかは、
彼女が困ることがあったら力になりたいと思っていた。
 けいちゃんが転校して来たことによって、クラスの女子生徒
が五人になった。
 これで女子対男子でバスケットボールの試合ができる、と手
放しに喜んだのはあいちゃんだった。
 対して、あっくんは喜ばなかった。
 男子の輪にあっくんはうまく入れず、それまで女子たちと遊
んでいたのだ。けいちゃんが来たことによって、バスケットボ
ールのとき彼は女子の輪からはじかれた。
 彼のけいちゃんへの好意に気づいた男子から、あっくんはか
らかわれるようになった。当然のように女子もあっくんをから
った。

 過度の――きりのない揶揄がつらいことを、まどかはよく知
っていた。
 とても好きなあっくんとけいちゃんが揶揄の対象になっても、
助け船は怖くて出せなかった。彼らが揶揄される間、まどかが
揶揄されないで済むのも事実だったのだ。
 まどかは足ぶみを止めた。
 尿意は鈍り、下腹部が重くなっている。
「……そうそう」
 なにかあったと思う。
「そうそう」
 あっくんは身軽で――無茶をする子で。
「そうそう」
 高津くんの顔が脳裏によみがえって、その瞬間失禁しそうに
なった。
 
 四 血に染まる
 
 高津君は、この教室で死んだ。
 正確には大怪我をした。絶命したのは病院に搬送される途中
だった、と聞いている。しかし彼が怪我をする場面を見、血を

流すところを見たまどかにすれば、高津君が命を落としたのは
この教室にほかならない。
 その日あっくんは椅子に腰かけ、いつものように飛び跳ねて
遊んでいた。騒音はすさまじく、真面目な高津君はあっくんを
注意した。普段からたしなめるのは高津君で、彼は根気強くあ
っくんを注意していた。
 体育の授業を次の時間に控え、だがあっくんは着替えていな
かった。
 あっくんの体操着を手にした高津君は、着替えようよ、と声
をかけた。
 うん、とこたえながらも、あっくんは椅子で飛び跳ねる。
 六年生になって、ぐんと体格のよくなったあっくんの体重を
椅子は支え続けていた。彼が気ままに飛び跳ねる衝撃を、椅子
は受け続けていた。
 高津君があっくんの肩に触れようとしたとき、椅子の足を補
助する金属は唐突にもげた。溶接部分がぼろりと、それこそあ
っくんの重量から逃げ出すように落ちたのだ。
 椅子はぐしゃりとひしゃげた。
 勢いがついていたあっくんは、あおむけに転がって――手を
のばしていた高津君を巻きこんだ。

 教室の誰もが見ていた。
 止めようがなかった。
 あっくんの爪先を腹部に受けた高津君は、うずくまるように、
まえのめりに転んだ。
 誰もが見ていた。だが教室の誰もが、椅子からもげた金属が、
高津君ののどに突き刺さるなど思いもしなかった。
 
 高津君は真っ赤になった。
 
(※ 本編に続く)










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