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『アロイのやさしい神さま』(日野裕太郎・ハルノブ)

【ヒューマンドラマ中編】
戦火の傷跡が癒えない村。今も残る地雷原で鉄屑を拾うアロイたち。
危険だけど貴重な収入源で生活の糧となっている。
ある日ボランティたちがやってきて、危険と同時に生活源の撤去も始まった。
アロイたちは生活を賭けて、地雷原を駆ける。
鉄屑を求めるだけのはずがいつしか危険なゲームにのめり込む。
アロイが地雷を踏んだらそれっきり。

架空の国を舞台に、真摯に生きる人々のドラマが展開される。

文庫 約66ページ (1ページ 39字詰め 18行)

自分の信じるものが正しいから、正しくないものを罰するつもりで、
ひどい戦争になってしまった。

アロイは神さまを信じていない。

神さまを信じ、アロイは愛されているのだ、というチュカナを嘘つきだと思っている。
戦争のきっかけになってしまう神さまなんて、と苦い気持ちで顔をあげると、どこか上機嫌に見えるチュカナがいた。
祖母を嘘つきだと思っているが、アロイはチュカナを愛していた。
嘘つきのチュカナが語る自分への愛情は、真実だと知っている。
だが祖母の語る世界や神は嘘に満ちている。
嘘つきの語る真実について考えると、アロイは何故だか泣きたくなる。
だからいつもアロイはそこで考えるのをやめていた。
ただ黙って、アロイはチュカナの手をにぎる指に力を入れた。

【Amazonでレビューいただきました】

【サンプル】

 一 チュカナの神さま
 
 アロイは目覚めると、周囲の静けさに身構える。
 あまりに静かで、自分がもう死んだのではないか、と大きな
恐怖を覚える。
 一瞬こわばった身体は、すぐに緊張を解く。祖母のチュカナ
が目に入ったからだ――それでアロイは、寝ぼけた自分にすこ
し呆れながら息を吐く。
 毎朝のことだ。
 ずっとアロイは静かな朝を知らなかった。
 明けがた、遠くから雷鳴のような音が轟く。轟音に殴られる
ようにして目が覚めるのが日課だったのだ。以前住んでいた場
所で身についた習慣は、なかなか抜けてくれない。
 身体を起こそうとすると、祖母のチュカナが制止した。
 これもまた、毎朝のことだ。
 毎朝静けさに身がまえ、自分が寝ぼけていたと知る。
 いつ眠っているのか、祖母はアロイが起きるときにはすでに
起きている。
 もうちょっと寝なさい、と静かな声に従いながら、アロイは
チュカナの横顔を見た。

 チュカナは外を見ていた。
 アロイたちの家に窓はない。
 立てた木の杭に布をくくりつけた、簡易テントの家だ。十分
に壁面を作るほどの布は手に入らなかった。布と杭の間の空間
を、チュカナは穏やかな表情で見つめている。
 音が聞こえた。
 空耳かわからなかった。
 一瞬遅れて空気が振動したので、実際の騒音だとわかった。
 アロイは薄い毛布をにぎりしめた。
 村外れの地雷原で、地雷が炸裂したのだ。
 祖母がなにかいい出さないうちに、とアロイは目を閉じた。
 空気を震わせて、また大きな音が遠くから聞こえた。
 三日ぶりに聞く音だった。
 何度も聞いた音で、これからも聞き続ける、とアロイは確信
していた。終わりがない、と。村や――ひいては国にいったい
いくつの地雷が埋まっているのか、まったく予想できない。
 はっきりしているのは、今朝炸裂した地雷の鉄片を拾いに、
できるだけはやく出かけなければならないということだ。
 一刻もはやく、と気が急いた。
 アロイ同様に鉄片を拾う子供たちの争奪戦に備えなければな

らない――地雷を踏んだだろう誰かのことは、考えないように
した。
 
 ●
 
 パンをこねる水を汲みに祖母が家を出た。そのすきにアロイ
は地雷原に向かった。
 麻の袋を抱え、裸足で走る。
 川に行く、といい置いて家を出た祖母は、肩越しに孫になに
かいいたげな視線をよこした。
 地雷原に行くな、といいたいのはわかっていた。
 今日に限った話ではない。
 家は収入源はない――アロイが地雷原に行って、鉄片を拾い、
換金する。それしか老婆とまだ十歳の子供の家庭が稼ぐ手段は
なかった。アロイたちだけではない。近隣の住人で、ほかに稼
ぐ道のあるもののほうが少ない。
 それがわかっているから、チュカナはやめろ、と強くいえな
い。
 アロイが地雷を踏めば、終わる。
 アロイの近くにいる子供が地雷を踏んでも、やはり終わる。

 以前は地雷原は鉄条網に囲まれていた。
 危険だから、と国の方針で施工が決まったのだった。
 施工した翌日には鉄条網はなくなった。
 炸裂した地雷の鉄片を拾うより、鉄条網を解体して売ったほ
うが手っ取りばやいからだ。また鉄条網は張り巡らされたが、
すぐなくなった。幾度かくり返されたが、いつからか鉄条網は
施工されなくなった。噂では施工業者がどうせなくなるのだ、
といって工事をしなくなったそうだ。
 地雷原に着くと、走って上がった息を整える。残念ながらア
ロイは一番乗りではなかった。アロイよりも地雷原の近くに住
む子供や、家人のすきをうかがわなくてすむ子供たちの顔がそ
ろっていた。
 点々と朝日を照り返す鉄片と思しきものが見えている。
 ひらけた場所で、なにもない――昔は家畜を放牧したり、作
物を育てたりした場所だったらしい。いまではただの荒地だ。
遠くに山が見える。ここが畑だったら、たくさんの収穫が見こ
める。特に肥沃な土地には地雷は多く埋められている、という
のが村のものの間では定説だった。そういった場所が村には何
箇所もあり、そういった村が国中にある。国のあちらこちらに
雑草も生えない場所がたくさんある。

 無数の黒い頭が揺れていた。
 集まった子供たちは、一様にしたを向いていた。埋まってい
るわずかな鉄片を探しているのだ。
 こういうとき、兄弟のいる家はいい――胸にわきかけた感情
を飲み、アロイは袋を広げながら地雷原に駆けこんだ。
 走りながら、荒野を一瞥する。今朝地雷を踏んだ誰かが横た
わってることはなかった。
 国内を二分した戦争が終わったのは、アロイが生まれるまえ
である。
 地雷は戦争のときに埋められたもので、どのくらい埋まって
いるのか、埋めた軍隊でもわからないらしい。戦争が終わって
から地雷の数が増えているはずもないのに、毎日毎日炸裂する
地雷は減っている気がしない。
 鉄片を拾う子供が被害を受け続けても、地雷原に集まる子供
たちの数は減らない。
 目につく鉄片を拾い終えると、誰もいない平原に向かって、
子供たちはそろって足もとの石を投げる。このていどの衝撃で
起動する地雷はさすがにもう少なかった。投石に反応するもの
がなくなったら、昼になるまでみんなでまた地面を掘る。埋ま
っている鉄片を探すのだ。手で掘れるだけ地面を掘り返す。指

先を切ってでも、鉄片が見つかればいい。
 投石に沈黙していた地雷が反応することがあるのは、子供た
ちがそうやって地面を掘っているときだった。
 その日も地雷は炸裂した。
 だるくなった腰をほぐそうと身体をのばしたアロイの視界で
それは起きた。
 音――大きな音、弾かれるように飛ばされる、ほそく小さな
身体。その少女の名前を思い出そうとして、ふと耳が聾されて
いると気づいた。
 やんわりと音が戻って来て、倒れ伏した友人を呼ぶ少年たち
の声ばかりが耳に飛びこむ。ややあって、惨状を取りまいてい
た子供たちが新たに現れた鉄片に群がった。アロイが混じるに
は距離があった。
 冷や汗をかいていて、ぎゅっと目を閉じる。まぶたに吹っ飛
んだ小さな身体が浮かんだ。目を開けると、少年たちが担架を
運んで来るところだった。
 布一枚の貫頭衣しか身につけていない少女が、爆風から身を
守れようはずもない。
 担架で運ばれるぐったりした怪我人には、手足は揃っていた。
地雷で手足を失くすことは多い。ぼろ切れのようになった身体

も衣類も赤く染まっていたが、息はあるようだった。
 早朝の爆発でも――抜け駆けした子がああいう姿になったは
ずだ。
 アロイはひとり、弱い息を吐いた。
 怖かった。
 気を紛らわせようと、かすかに震える指で手元の袋を開く。
 もともと大量に採れるわけではない。それにしても鉄片は思
ったほど集まっていない。今朝に限った話ではなかった。最近
になって他の場所から流れて来た子供の団体がいて、そのせい
で取り分が減っている。子供たちが以前いた場所で、鉄片を取
り尽くしたのだという。
 流れものの彼らは憎まれていた。
 そして一年ほどまえに祖母と流れて来たアロイも、近隣の子
供たちに憎まれていた。
 憎まれているもの同士、話をぽつぽつとする。
 彼ら一団が通った別の村の話だったが、地雷の撤去がはじま
っていた。
 海外からボランティア団体というよそものが来て、鉄片を取
れなくなったのだ――そう聞いてアロイはぞっとした。ボラン
ティアの団体というものの意図が想像ができなかった。

 よそものが生活の糧である鉄片を奪う――ここにも来るかな、
と呟いたアロイに、年上の少年は目をそらしたままだった。頭
に巻いた、もともと赤かっただろうターバンが傾いだ。
「どうかな。あいつら、俺らの村をきれいにしてやる、ってい
きまいてた」
「ここに来たら……どうしたらいいんだろう」
「俺らと一緒に、おまえも来ればいい」
 流れて来た少年たちは、定住するつもりは毛頭ないようだ。
「どうせ身軽だろ?」
「……おばあちゃんの故郷なんだ、ここ」
「そうなのか」
「おばあちゃんの故郷だから、一年くらいまえに来たんだけど
……」
「親戚は? ばあちゃんの面倒、誰か見てくれないのか?」
「誰もいない」
 いない。
 両親や兄弟は戦争で死に、祖母だけが残った。
 村に戻っても、誰もいなかった。親戚がたくさんいたはずな
のに、誰もいなかった。
 祖父に連れられて、祖母は若いころに村を飛び出している。

逐電同様に出て行った祖母への風当たりがよくないことは想像
できたが、現実にはそうなるほどの知人はいなかった。戦争で
みな散り散りになっていた。
 知己難はなく、故郷にあっても祖母の表情は晴れない。
 マロイ、と少年がいった。
「なに?」
「マロイっていうんだ」
「え?」
 アロイは首をひねる。
「だから……俺の名前。マロイ」
 ああ、とアロイはうなずいた。てっきり自分が呼ばれたと思
ったが、名を告げた覚えはなかったし、名を呼ぶ友人はいなか
った。彼の耳にアロイの名が入るはずがなかった。
 アロイと口にすると、マロイ少年は片方の眉をあげた。
 それが相手の名だとわかると、マロイは顔をくしゃくしゃに
して笑った。
「アロイか、そうか。おもしろい偶然だな」
「うん。みんなになんて呼ばれてるの?」
「マー」
「じゃあ、マーって呼んでいい?」

「ああ。おまえのこと、アロイって呼んでいいか?」
 アロイがうなずくと、マーは後ろを指した。地面に座って休
憩している、彼の仲間たちがアロイを見ていた。
「なんかあったら、遠慮しないでいえよな。力になれるような
ら、なってやるから」
「ありがとう」
 彼らはマーを先頭に地雷原を去った。鉄片を業者に売りに行
くのだ。
 昼から夕方の間に、トラックで村の外れに買い取りの大人が
どこからともなくやって来る。マーたちがどこに寝泊りしてい
るのか知らないが、近くに友人ができた気がして、アロイは袋
を抱えて走り出した。袋は軽かった。なにより、気持ちや足取
りが軽かった。話をしただけなのに、マーに深い思いやりを示
された気分になっていた。
 トラックはいつもの場所に停車していた。
 まわりに子供がたかっている。
 もっと値をあげてくれ、と全員が口を揃え、ひげをたくわえ
た仲買人が眉間に深いしわを寄せたまま、聞かぬふりをしてい
る。荷台にあるさびた秤で、鉄の重さをはかる。支払いもその
場で、重さに見あった金額が渡される。公平を重んじ、誰がい

くら受け取っているかわかる仕組みだ。
 すこしまえまで、アロイは鉄片拾いの稼ぎ頭だった。
 最近では頭打ちで誰かが抜きん出ることはないが、流れて来
た当時、アロイは鉄片を拾うのがうまかった。ほかの子の倍の
量を拾うこともあった。偶然だ、とアロイは思っていたが、他
の子たちにすれば厄介な相手が流れて来ただけだった。嫌がら
せはあったが、他愛なく、命の危険は感じなかったから、アロ
イは特にチュカナに話さなかった。
 アロイの収穫が減ったのが目に見えているためか、嫌がらせ
はなくなった。減収とおなじころから、たまに話しかけられる
ようになった。相手は、数すくない祖母の知人の孫たちだ。
 また鉄が出ればいいのにね、とアロイを見ずに呟く声に、う
つむいたままアロイもそうだね、と返す。わいて出るわけがな
く、もっと広い範囲に目を向けなくては――そうやって、村の
なかから子供たちは外れまで来ているのだ。
 また作物を育てよう、と大人が話すのを最近聞くようになっ
た。
 だが種を買う金がない。子供が拾う鉄の金だけでは、収穫ま
で生活が保たない。
 アロイの鉄片の買い取りも無事にすんで、家路につく。

 チュカナの用意した昼食を摂り、ふたりで暗くなるまで山に
行く。食べられるものを探すのだ。魚も欲しいが、川の上流に
工場ができて以来捕っていない。チュカナがいい顔をしないの
だ――川の水が汚されている、とチュカナが憂いていた。
 山の中腹から、夕日で染まった景色が見える。
 無造作ににぎったいくつもの小石を適当にまいたように、粗
末な家が間隔を開けて立っていた。ちょうどアロイたちが住む
あたりが見えている。石づくりの家はなかった――残骸は別だ
が。倒壊しかかった建物は、使えそうな資材を取って撤去しよ
う、という流れになっていた。
 夕焼けの赤さは忌々しく、また禍々しく見えた。
 何度か大人たちが、いつか昔のような平和でいい時代が来る、
と話すのを聞いた。チュカナも度々口にする。
 悲しいかな、アロイを含め、子供たちは戦火や戦火にまつわ
るものしか知らない。地雷原で穀物が取れたことも、豊かな実
りにあふれるながめも知らない。瓦礫で育った彼らは、風の冷
たさは知っているが、建物がそれを防ぐことを知らない。
 身を寄せれば暖かいことは知っていた。
 でもアロイの肉親は、痩せ衰え枯れ枝のようなチュカナだけ
だ。そこが似たのか、アロイの腕も細い。互いを暖めあうには

ふたりはあまりに粗末だった。
 チュカナが子守唄を歌っていた。
 大地にありがとう、空にありがとう、川にありがとう、家族
にありがとう、あなたにありがとう。穏やかな声に、アロイは
手を止めて聞き入った。
 乾いた風が、背中に届く黒髪を揺らした。村には髪も目も肌
も黒い人々が住む。型にはめたように女は髪をのばし、男は短
く刈りあげた髪型だった。
 マーの話したよそものたちは、髪が黄色くて目が青いのだそ
うだ。青空のような色の人間がいるなら、どこかに夕焼けのよ
うな赤い目をした人間もいるかもしれない。
 収穫を見せると、チュカナはうなずいてそれを受け取った。
自分のものとあわせ、丁寧にまえかけに包む。
 ひたいに押しいただいた包みを、暮れる陽に掲げ持つ。
 短くお祈りの言葉を唱え、チュカナはアロイに続くよう静か
にうながした。
 収穫を神さまに感謝するのだ――アロイは口のなかで小さく
唱え、赤い太陽から目をそらした。
 すべて神さまからの恵みでこの世はなり立っていて、感謝の
気持ちを持つのがとても大切なのだ、とチュカナは何度もアロ

イにいっていた。
 アロイは神さまに愛されている、とチュカナは自信にあふれ
た声を何度も孫に聞かせていた。
 ――誰も彼もが傷つき命を落とす。飢えて倒れるものも少な
くない。
 そんななか、かつかつでも日々の糧を得られ、朝を迎えられ
るアロイは神さまに愛されているのだ、というチュカナは自信
たっぷりだった。
 手を引かれ、小さな家に戻る間、チュカナは神さまをたたえ
る歌をくちずさみながら歩いていた。
 赤かった空は、群青の深い夜の顔に変わろうとしていた。
 むき出しの土があちこちにあり、夜に推移する時刻、すでに
そこは闇に沈んでいた。そこは誰かが命を落とした場所なのだ、
とアロイは顔を背けた。村のものとも兵士ともつかない誰かの
亡霊が、夜陰に乗じてそこから立ちあがる気がした。
 過去に起きた戦争の理由をアロイは知っている。
 ようは隣りに住むもの同士が、それぞれ信じる神さまが違っ
たのだ。
 自分の信じるものが正しいから、正しくないものを罰するつ
もりで、ひどい戦争になってしまった。

 アロイは神さまを信じていない。
 神さまを信じ、アロイは愛されているのだ、というチュカナ
を嘘吐きだと思っている。
 戦争のきっかけになってしまう神さまなんて、と苦い気持ち
で顔をあげると、どこか上機嫌に見えるチュカナがいた。
 祖母を嘘吐きだと思っているが、アロイはチュカナを愛して
いた。
 嘘吐きのチュカナが語る自分への愛情は、真実だと知ってい
る。だが祖母の語る世界や神は嘘に満ちている。
 嘘吐きの語る真実について考えると、アロイは何故だか泣き
たくなる。だからいつもアロイはそこで考えるのを止めていた。
 ただ黙って、アロイはチュカナの手をにぎる指に力を入れた。
 応えるように、チュカナの細い指が強くにぎり返してきた。
 
 二 地雷原の朝
 
 ぼろぼろで汚れた貫頭衣と、すり切れたズボンの子供たちが、
三十人ほど集まっていた。
 女子も男子も一様で、やはりおなじ格好のアロイもそこに交
じった。

 早朝である。
 鉄片を拾いに来た一同は、地雷原に入るでもなくそれを見て
いた。
 よそもの――異国人が作業していた。
 アロイはマーやその友人たちの顔を探したが、見当たらなか
った。
 異国人の群れ――よそものたちは、マーの話した通り、黄色
い髪をしていた。背中を向けたものが多く、帽子のひさしが作
る影で目の色はわからなかった。日焼けしているが、アロイた
ちよりずっと薄い色をしている。
 大人数のよそものたちは、重機や機械を持ちこんで地雷原で
作業中だった。
 なにをしている、と明瞭な説明は誰にもできないが、誰もが
わかっていた――よそものは奪いに来たのだ。頭の奥でそうい
う静かな声がして、アロイは全身の血がさがって寒くなった。

 飢えが来る。
「柵、作るんだって」
 地面を向いたままで、ひとりの少女がいった。村の長の孫が
そう話すのを聞いたという。彼女は自分より後に来た子供たち

に、事情を話してやっていた。
「地雷が危ないから、柵を作るんだって」
「柵って……まえにも、そんなことあったよね」
 うん、と少女がうなずいて、アロイは鉄条網を思い出した。
また鉄条網が張り巡らされるなら、取り払ってしまえばいいの
だ、と胸に光が射した気がした。
「それだけじゃなくて、地雷の撤去作業を本格的にするんだっ
て」
 事情を飲めないでいる子供たちが、少女を見ていた。よそも
のが作業する重機の音がうそ寒く、遥かに聞こえた。
「あそこから、地雷を失くすんだって。失くして、作物を作れ
るようにするんだって」
 アロイは地雷原を見た。
 あそこで収穫ができる?
 想像ができなかった。
 収穫ができようになる?
 そうなったら……どうなるのだろう。
 鉄片を拾わなくても生活ができるのだろうか、と地雷原を見
つめるアロイに並んで、子供たちはぼうっと重機が揺れる様を
見た。それがいいことなのか悪いことなのか、それさえもわか

らなかった。
 よそものたちがこちらを見た。
 手をふって来た女性が、日に焼けた笑顔を見せた。彼女が帽
子を取ると、青い目が心底から笑んでいるのが見えた。アロイ
は再度マーたちの顔を探した。いつもならどこかに並んでいる
顔が、どこにもなかった。よそものの姿に、この村を去ったの
かもしれない。
 置いて行かれた、と思ったアロイのまぶたに、チュカナの顔
が浮かんだ。
 女性が大股に歩いて来た。女性だが背が高い。着ている服は
土ぼこりで汚れているものの、上等だった。
 こんにちは、と彼女がいった。
 少女のグループがくすくすとひそやかな声をもらした。女性
の言葉は異国のものらしく、イントネーションがずれていた。

 反応があったのが嬉しいのか、女性はこんにちは、とくり返
した。後ろから、ひげをたくわえた男が追って来る――彼は同
国人だった。
 女性はビーと呼んで欲しい、と片言にいい、男性が彼女の言
葉を補足した。

「このひとはビアンカさんといって、遠い国からおまえたちを
助けに来てくれたひとだ。あそこの地雷を取っ払って、もう危
ない目に遭わないですむようにしてくれる」
「食べもの作る、安全、暮らす」
 ビーは大きな身ぶりで地雷原を示した。
 子供たちは反応できなかった。
 彼らのしようとしていることはわかったが、正気だととうて
い思えなかった。
 ビーは不思議そうな、少し困った顔をしていた。
「あそこに……」
 再度示した指に、アロイは声をあげた。
「それまでどうするの?」
「おまえは――」
 男のまえに入って、ビーは先をうながすようにうなずいた。
「それまで、みんなどうするの?」
「どうする?」
「食べもの、どうしたらいいの」
 ビーはアロイの肩を叩いた。
「安心、ある」
 語彙に自信がないらしく、ビーは背後の男性をあおいだ。男

は身ぶりで任せろ、とビーに示す。
「食べものは、配給制で各家庭ごとに配布する。みんなが食べ
られるようにする。まだ先の話だが、学校を建てる計画もある」
「あの、学校は、天気いいなら、外で」
 聞くだけならビーは言葉に慣れているのか、男に補足を求め
た。
「そうですね。……雨季以外は、外で先生を呼んで授業ができ
るだろうし、とにかく、もう地雷に怖い思いをしなくていいん
だ。そんな生活は終わるから安心していい」
 晴れやかな表情でいう男を、アロイはなぜだか蹴り飛ばして
やりたくなっていた。
 目のまえのビーは、子供たちを見回した。
 小さな顔は男の言葉を理解しなかったのように、きょとんと
していた。
 重機の音が止まり、見れば作業員がビーを見ている。手招き
し、その様子から指示を求めていると知れた。
 このひとが一番えらいのか、と作業員に駆け寄る背中にアロ
イは思った。
 通訳の男が大きく息をつく音に、アロイは我に返った。子供
たちは三々五々散っている。

「なんだ?」
 見あげるアロイに、男はビーがいるときとは違うぞんざいな
声をあげた。
「あのひとたち、よそのひと?」
「そうだ。外国から来たんだ。困っているひとのところに行っ
て、手助けをする、っていう活動をしているんだ」
 男は誇らしげな顔をする。
「あなたも?」
「俺はただの通訳兼手伝いだよ」
「仲間じゃないんだ? 外国に行ったりするの?」
 男は声をあげて笑った。
「そんな余裕のある家の人間じゃないよ、俺は」
 国の一部の人間は、豊かな生活を送っているらしい。残念だ
が、アロイには豊かな生活の指すものを知らない。食べものが
たくさんある、程度の想像をしたところで、男が口を開いた。

「いっていることは間違ってはいないよ、あのひとたちのやっ
てることも」
 何故か男の顔からは、先ほどのような明るさは消えていた。
「理想は高いに越したことはないんだよ」

 ぽつりと落とした声は、自分にいい聞かせているようだった。
「だから、地雷をなくすの?」
「まあ、地雷のない国にいたんだから、そう思うだろうな」
 男は地面に眠る犬の尾みたいに垂れているアロイの袋を足で
つついた。
「鉄を拾わなくても、まあ……配給があるから。村長に話はつ
いてる。明日明後日にははじまるから、ここには入るなよ。他
の子たちにもよくいっておいてくれ」
「うん……」
「俺はトマイだ」
「……アロイ」
 トマイは手をふり、重機に走った。
 ほかにする仕事もなく、アロイは山に食べられるものを探し
に入ったり、川で魚を捕まえられないか試行錯誤して時間を潰
した。まっすぐ帰る気にならない。工場が水を汚している、と
聞かされているためか、魚の数が減っているように思えた――
一尾も捕らえられなかった。
 昼を過ぎたころ、視界の遠くを目になじんだトラックが行き
過ぎるのを見た。
 草原だったとチュカナがいう村の周辺はいまは荒地になって

いる。車体を揺らし、トラックが行く先はわかっていた。鉄片
を買い取る業者だ。通えるような場所で、地雷原があるか訊け
ないだろうか――食料の配給を鵜呑みにできないアロイは、村
の外れに向かった。
 たとえ配給が本当なら――鵜呑みにできなくても、淡い期待
が胸に芽吹いているのは事実だった。
 トマイの言葉が本当なら、稼いだお金は手元に置いておける
のだ。
 老いたチュカナの顔が頭をよぎった。チュカナにもういやな
顔をさせないですむかもしれないのだ。
 毎日通った場所に、アロイの足は自然と向かっていた――ト
ラックの周囲には、村の子供たちが垣根になっていた。
 トラックの荷台から、男たちが不機嫌そうな顔をして子供た
ちを見おろしている。
 駆け寄り、アロイはトラックに群がる顔を確認した。そこに
並ぶ顔が食器のひとそろえも持たない、特に貧しい家の子ばか
りだと知った。
 我先に、と子供たちは声を張りあげ、男たちに自分の声を聞
いてもらおうとしている。アロイも輪に加わったが、声はあげ
なかった。誰もが荷台に目を向け、口をえさをねだる小鳥のよ

うに開けている。ここでどんな音声で訴えても無理だ。アロイ
はゆっくり子供たちをかきわけ、荷台に近づいた。
 声は交差して大変聞きづらかったが、おおむねそれは鉄片の
値あげの要求や、毎日いままでどおり買いつけに来るか確認す
る声だった。
 誰もが鉄条網を取り払い、地雷原に戻る気でいるのがわかっ
た。
 よそものが取り尽くしてしまうまえに、確保するつもりなの
だ。
 顔をあげ声をやかましくする子供のなか、目線を落として荷
台に寄るアロイは目を引いたのか――荷台であごひげをこすり
ながら、中年の男がアロイを見ていた。
 まっすぐアロイは男を見た。
 なにか訴えようにも、周囲の声量が大きすぎて彼に届かない
のは明白だった。強い日差しを受ける男の顔は、怒っているみ
たいに見えた。
 見つめあったまま、アロイは黙って男を見あげていた。
 荷台で腰をおろす男が立ちあがると、子供たちの声が一気に
雲散霧消して消えた。
 男がなにをいうのか――アロイも周囲の子供と一緒になって

待った。
「――ここには来ねぇ」
 もう会うこともねぇな、と男の背後にいた助手役の若い男が、
吐き捨てながら荷台を降りた。
「ここいら一帯の地面は、外人たちがひっくり返してるぞ。…
…おまえらも、ほかに稼ぐ方法を考えろ」
 取り巻いた子供たちが苦情めいた悲鳴をあげた。
「俺らだって、飯の食いあげになるかもしれねぇんだ、うるさ
くすんな!」
 男の一喝に静かになった。
「おまえらガキは外人が食わせてくれるだろうが、俺らはどう
なるかわかったもんじゃねぇんだ」
 それは嘘だ――アロイは思ったが、黙って男を見た。
 大人は自分たちの逃げ道はちゃんと用意しているものだ。村
の大人たちを見ていればわかる。危険だやめろといいながら、
危ない地雷原に自らは赴かず、子供に行かせる。しかたない、
といいながら、自分は鉄を拾うために身を屈めない。
 アロイの視線に気づいて、男は犬を追い払うような仕草で手
をはらった。
「縁があったら、おまえらともどっかで会うかもしれないな。

ま、女だったら身体で稼げるんだ、会ったときにはよろしく頼
むぜ」
 助手役が運転席から、
「ガキ相手になにいってんですか、行きましょうよもう」
「ああ」
「無駄足だ、畜生」
 トラックは黒い煙を巻きながら去って行った。
 やり場のない憤りの声――言葉にならない苦情の悲鳴をあげ
ながら、三々五々子供たちは散って行く。
 アロイはどうしたらいいのかわからないでいた。
 集まっていた面々を思い起こすと、ざわざわと胸中が嫌な感
触になった。貧しい、村の中核に入ることのない家庭の子や、
孤児ばかりだった。
 みんな不安なんだ、とひとりになった荒野でぽつりと落とし
た言葉を、アロイ自身認めたくなかった。
 
(※本編に続く)



同人誌

»「下町飲酒会駄文支部」

「下町飲酒会駄文支部」というサークルで、コミケ、コミティア、文学フリマなどに参加しています。

...ほか、既刊多数あります。

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