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余白の強さ
なんじゃそれ?なんだけど。
映画でも小説でもアニメでも、フィクションは受け取る側の妄想の入り込む余地があるほど強い、ということ。1から10まで全部説明、解説されてる、送りて側の意図が押し付けられるものだとまったくお話にならない領域というのがあると思う。
小説と比べてビジュアルや音響も伴う映画なんかは受け取る側の踏み込む、妄想する領域が狭くなる、てなことが言われていて、それが長所であったり短所であったりするのも、納得なんだけど。
ワタシ的にハマっていて、何度観ても個々いろんな状況を勝手に広げて涙腺を決壊させてるのが「告白」(True Confessions)という映画。
いちいち、そこわからんよ、というのがあって、トムとブレンダの関係やトムと弟及び家族の関係なんかの説明はばっさり削除されている。だけど、それを「匂わせる」セリフややりとりで「わかる」んで、その余白に想いを馳せて「泣ける」んだ。
映画の評価としても、デニーロとロバートデュバルが出てるのにその評価?お前らどこ観てんだよ、というのを胸倉掴んでも言いたいんだけど。それはまた別の話。
小説だと最近40年ぶりぐらいで読み返した田中光二の「異星の人」
これもまた読んで受け取るこちらの裁量が大きい物語で、勝手に膨らませていちいち、それこそ勝手に泣いてしまう小説。40年も前の小説で、40年経って改めて対面するわたしの状況があっても、そこに入り込む余地があるのが強い。
同人誌の二次創作の功罪?んなものに功罪なんてのはなくて。
好きな物語を膨らませて自分の物語として取り込むのは、たぶんみんなやっていること。やらざるを得ないことで、それがあるからこその人類という種、なんだろうとも思う。
とかなんとか。
わけのわからないことをなんか吐きちらかしてるのは。マジすべてのひとに「告白」ロバート デニーロ、デュバルを観てほしいだけ。
世の中のひとの評価軸として
「告白」を観た/観てない
は、ひとつの確実な指針としてある
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