- 淡い月あかりの下に、幸子の微笑した横顔をみて――どうしてこんな子供みたいな笑い方ができるのか、とミツ枝は不思議に思った。いつまで経っても、そして全身を泥水に浸水に浸すような生活に落ちていても、幸子の笑いは初々しく含羞を失うことなく、暗く荒んだ過去を匂わせなかった。
- [link] https://t2aki.doncha.net/books.pl?bookid=114
- エリ子、十六歳の夏
- 「エリ子は大丈夫よ。しっかりしてるわ」
「しっかりしてるようでも、まだ十六だ」
「わたしなんか十七よ。老後が心配だわ」- [link] https://t2aki.doncha.net/books.pl?bookid=1
- 「エリ子は大丈夫よ。しっかりしてるわ」
- エリ子、十六歳の夏
- わたしは墨をゆっくりとすりつづけた。ビニール製の茣蓙を敷いた上に小さな机が十卓ばかり並んでいるが、子供らはみんな帰ったあとで、窓に西日がさしていた。
ノックの音がした。
子供らなら無断で入ってくる。小学生ばかりだが、習字より友だちに会うのが楽しくてやってくるのだ。
しかし、夕方の五時には帰らせることにしている。
来客の予定はなかった。- [link] https://t2aki.doncha.net/books.pl?bookid=2
- わたしは墨をゆっくりとすりつづけた。ビニール製の茣蓙を敷いた上に小さな机が十卓ばかり並んでいるが、子供らはみんな帰ったあとで、窓に西日がさしていた。
- エリ子、十六歳の夏
- 「金持ちの伜や娘ばかりだな」
「わたしのとこは貧乏よ。親父は酔っ払いで、おふくろはあばずれで」
「兄貴はやくざか」
「あら、誰に聞いたの」
「未亡人さ。それはきみたちの合い言葉か」
「テーマ・ソングよ」- [link] https://t2aki.doncha.net/books.pl?bookid=3
- 「金持ちの伜や娘ばかりだな」
- エリ子、十六歳の夏
- 土曜の夜は終夜興業の映画館が多いせいもあって、人波が少しも衰えていなかった。ほとんど若い連中だが、それぞれ個性的な服装のようでいながらどことなく似通っていた。どんな奇抜な衣装でも、それが流行になれば画一的になってしまう。流行が個性を消してくれるから、だから若者たちは安心して新宿に集まるのかもしれなかった。
個性は孤独で不安なのだ。- [link] https://t2aki.doncha.net/books.pl?bookid=4
- 土曜の夜は終夜興業の映画館が多いせいもあって、人波が少しも衰えていなかった。ほとんど若い連中だが、それぞれ個性的な服装のようでいながらどことなく似通っていた。どんな奇抜な衣装でも、それが流行になれば画一的になってしまう。流行が個性を消してくれるから、だから若者たちは安心して新宿に集まるのかもしれなかった。
- エリ子、十六歳の夏
- 声をかけられた。
振り返ると、見憶えのある顔が立っていた。十年ぶりくらいに会う顔だった。もし職業が変わっていないとすれば警察官で、うだつが上がらないでいるならどこかの署の平刑事だった。
わたしは、警察官を辞めてから20年あまり経っていた。- [link] https://t2aki.doncha.net/books.pl?bookid=5
- 声をかけられた。
- 暗い落日
- 悲劇の原因は、みんなこの弱さからでたことだ。
今こそ強くならなければならないときにも、彼は相変わらず弱々しく眼を伏せて頭を垂れている。そうしていれば、何もかも許されると思っているかのようだ。- [link] https://t2aki.doncha.net/books.pl?bookid=109
- 悲劇の原因は、みんなこの弱さからでたことだ。
- 公園には誰もいない 改訂新版
- 「低劣な人間は低劣なことしか考えない」
「その代わり、低劣な人間は低劣な人間のやりそうなことがすぐ分かる」- [link] https://t2aki.doncha.net/books.pl?bookid=168
- 「低劣な人間は低劣なことしか考えない」
- 公園には誰もいない 改訂新版
- このいつまでも美しさを失わぬ女は、自分以外のことを何ひとつ分かろうとしない。自己中心的でそのために鈍感になっている。悲劇を観れば涙を流すだろうが、例えばその原因が自分にあったとしても、そういうことには全く気づかないでいられる幸福なおんなだ
- [link] https://t2aki.doncha.net/books.pl?bookid=169
- 公園には誰もいない 改訂新版
- 暗がりで分からないが、相原は含み笑いを浮かべたようだった。
低い人生を投げてしまった者が残り滓を吐き出すような声だ。好きな声ではない。
それはある時期のわたし自身を思い出させる- [link] https://t2aki.doncha.net/books.pl?bookid=170
- 暗がりで分からないが、相原は含み笑いを浮かべたようだった。
- 公園には誰もいない 改訂新版
- 私もまた嘘に慣れている男だった
- [link] https://t2aki.doncha.net/books.pl?bookid=171
- ゴメスの名はゴメス 改版
- 「ーーマイナスの札ばかり切っていると、ゲームの終りにはプラスの札も一枚くらいだしてみたくなる」
- [link] https://t2aki.doncha.net/books.pl?bookid=48
- ゴメスの名はゴメス 改版
- 「おれは裏切りを商売にして友人まで売った男だ。--そう思ってくれれば沢山だ」
- [link] https://t2aki.doncha.net/books.pl?bookid=49
- ゴメスの名はゴメス 改版
- 「とても寂しそうで、不幸に見えた。だから…」
「不幸そうな男が好きか」
「あたしも不幸だったの」
「今は?」
「わからないわ。以前みたいに、幸福とか不幸とかいうことを考えない」- [link] https://t2aki.doncha.net/books.pl?bookid=50
- 「とても寂しそうで、不幸に見えた。だから…」
- ゴメスの名はゴメス 改版
- 「子供の頃洗礼を受けました。しかし神を信じたことはありません。それなのに、わたしは神のことばかり考えている、ばかな話です」
- [link] https://t2aki.doncha.net/books.pl?bookid=51
- ゴメスの名はゴメス 改版
- 「新しい人生か」
森垣は自嘲するように呟いた。新しい人生なんてものは、煙草の吸殻のように転がっているものではないのだ。人生がそれほど便利なものでないくらいは、わたしも承知で言ったし、森垣も充分承知で聞いたはずだった。
しかし、たとえそれが幻想に過ぎないとしても、生きていくには何らかの幻想を信ずることが必要なのだ。- [link] https://t2aki.doncha.net/books.pl?bookid=52
- 「新しい人生か」
- ゴメスの名はゴメス 改版
- すべてに絶望し、何も信ずることがなく、それ故に何かを求めずにいられなくて烈しい行動の中へ自分を投げこむ者がいる。
しかし冷えた心は冷えたままで、結局はまた絶望し、むなしさを他人の夢に託し、他人の情熱に加担することによってようやく自分の存在を意味づけようとする。
他人の情熱の分け前を得て生きるのだ。- [link] https://t2aki.doncha.net/books.pl?bookid=53
- すべてに絶望し、何も信ずることがなく、それ故に何かを求めずにいられなくて烈しい行動の中へ自分を投げこむ者がいる。
- ゴメスの名はゴメス 改版
- わたしたちは潔く別れる機会を失い、未来は宙に投げられたまま、香取の生死如何に委ねられてしまったのだ。
わたしたちは未来がないという地点で結ばれていたのに、突然未来が割り込んできたのである。- [link] https://t2aki.doncha.net/books.pl?bookid=54
- わたしたちは潔く別れる機会を失い、未来は宙に投げられたまま、香取の生死如何に委ねられてしまったのだ。
- ゴメスの名はゴメス 改版
- トウは笑った。
声にならぬ笑いだった。相手を嘲る笑いではなく、話のおかしさから洩れた自然の笑いでもない。
自分自身の内部へ向けた笑いだった。- [link] https://t2aki.doncha.net/books.pl?bookid=55
- トウは笑った。
- ゴメスの名はゴメス 改版
- 人は多くの人々を知っているが、彼らがどうなったかは知らない――何という本で読んだか忘れましたが、ジャン・コクトーはそんなことを言っています。当り前のことを言っただけでしょうが、それをわざわざ言うのは当り前ではありません。わたしは久しく会わなかった人に会うたびにこの言葉を思い出します。センチメンタルな奴だとはおもいませんか」
- [link] https://t2aki.doncha.net/books.pl?bookid=56
- ゴメスの名はゴメス 改版
- 絶望が遅過ぎるということはないのだ。
- [link] https://t2aki.doncha.net/books.pl?bookid=57
- ゴメスの名はゴメス 改版
- 他人の理解が人の心を慰めるというのは嘘っぱちである。死ぬとき、人は独りきりで死んでいかねばならぬように、生きるときも独りきりなのだ。
- [link] https://t2aki.doncha.net/books.pl?bookid=58
- 死者におくる花束はない
- 「とっておきの人生が、あんたを待ちくたびれてるかもしれませんよ」
- [link] https://t2aki.doncha.net/books.pl?bookid=209
- 死者におくる花束はない
- 「嘘をつくには、きみは正直すぎるらしい。別の返事をしてくれないか」
- [link] https://t2aki.doncha.net/books.pl?bookid=210
- 死者におくる花束はない
- 「言いたいことを言ったな」
「言いたくないことでも言うときがある」- [link] https://t2aki.doncha.net/books.pl?bookid=211
- 「言いたいことを言ったな」
- 死の報酬
- 「案外気が小さいのね」
「ぼくの友だちに気の大きいやつがいた。そいつは三回死にそこなって四回目に死んだ」- [link] https://t2aki.doncha.net/books.pl?bookid=192
- 「案外気が小さいのね」
- 死の報酬
- 「気の毒さ。そのせいであいつは神を信じるようになった」
「なぜだろう」
「神様に意地悪されたと考えてるのさ」- [link] https://t2aki.doncha.net/books.pl?bookid=193
- 「気の毒さ。そのせいであいつは神を信じるようになった」
- 死の報酬
- 「知らないね。おれはどんなことだって知らないんだ。試しにおれの名前をきいてみろ。知らないって答えてやる」
- [link] https://t2aki.doncha.net/books.pl?bookid=194
- 死の報酬
- しかし、ぼくはきみにも会ったような気がする。半年くらい前に博多で会った。人ちがいだろうか、その女は由利という名前だった」
「人ちがいね。あたしの名はキャシー。博多へは行ったことがないわ。由利さんてどんな人だったのかしら」
「きみによく似ている。不幸な過去があったがぼくが会ったときは幸福をつかみかけていた」
「それではきっと博多で幸福に暮らしているんだわ。あなたっていい人なのね」
「なぜ」
「お話の仕方でわかるの」
「踊らないか」- [link] https://t2aki.doncha.net/books.pl?bookid=195
- しかし、ぼくはきみにも会ったような気がする。半年くらい前に博多で会った。人ちがいだろうか、その女は由利という名前だった」
- 死んだ夜明けに (1979年)
- 「変な人ね。真面目なのか不真面目なのかわからないわ」
「真面目です」- [link] https://t2aki.doncha.net/books.pl?bookid=196
- 「変な人ね。真面目なのか不真面目なのかわからないわ」
- 死んだ夜明けに (1979年)
- 「面白くなんかないわ。退屈な人生を複雑にいきるためよ」
- [link] https://t2aki.doncha.net/books.pl?bookid=197
- 死んだ夜明けに (1979年)
- しかし、わたしは何を夢みて生きているのか。例えば仕事について、愛について――わたしは四十歳にもならぬうちにもうすべての夢を見終った気がしている。それでも生きているのは、どこかに夢のかけらが残っているということなのか
- [link] https://t2aki.doncha.net/books.pl?bookid=198
- 死んだ夜明けに (1979年)
- わたしは無神経な男だった
- [link] https://t2aki.doncha.net/books.pl?bookid=199
- 死んだ夜明けに (1979年)
- グラスに満たした透明な琥珀色は、死んでいった伸枝の悲しみの色だった。わたしは自分の行為に対して安っぽく感傷的になっていた
- [link] https://t2aki.doncha.net/books.pl?bookid=200
- 死んだ夜明けに (1979年)
- 言葉で許すことは易しい。許すと心に誓うことも易しい。
しかしそれは許せたことと違う- [link] https://t2aki.doncha.net/books.pl?bookid=201
- 言葉で許すことは易しい。許すと心に誓うことも易しい。
- 死んだ夜明けに (1979年)
- 四十近い男が、ひげを剃るとき鏡に写る顔を見なければならぬ気持ちは、やはり四十近くならなければ分からないだろう。五十歳になったときの顔は想像できるが二十歳の顔は忘れている
- [link] https://t2aki.doncha.net/books.pl?bookid=202
- 死んだ夜明けに (1979年)
- 子供の頃からさまざまの夢にあこがれ、長い夢を見た者も短い夢をみたものも、やがて夢そのもののように消えてゆく。
- [link] https://t2aki.doncha.net/books.pl?bookid=203
- 死んだ夜明けに (1979年)
- 真実などというものにどれほどの価値があるのか
- [link] https://t2aki.doncha.net/books.pl?bookid=204
- 死んだ夜明けに (1979年)
- 人は多くのことを知りたがるが知らずにいることの謙虚な価値を知らない
- [link] https://t2aki.doncha.net/books.pl?bookid=205
- 死んだ夜明けに (1979年)
- 風が去って、そのとき一瞬の静寂がわたしたちの間に落ちた。重い、わたしには耐えがたい静寂だった。
- [link] https://t2aki.doncha.net/books.pl?bookid=206
- 白昼堂々
- 「ご主人はおられますか」
「主人ですか」
「富田さんです」
「それが何でございまして」
「何ですか」
「何なんでございます」
「わかりませんな」
「はい……」- [link] https://t2aki.doncha.net/books.pl?bookid=282
- 「ご主人はおられますか」
- 犯罪者たちの夜―紺野弁護士シリーズ2
- 「急ぎますか」
「忙しいのか」
「習慣的な質問です」
「早いほうがいい」
「それじゃいそぎましょう」
「習慣的な返事じゃ困るぜ」
「分かっています」- [link] https://t2aki.doncha.net/books.pl?bookid=284
- 「急ぎますか」
- 炎の終り
- 「今なら間に合うという時機がある」
「何に間に合うの?」
「いろいろなことだ。きみの将来のすべてと言っていい。その時機はとても短くて、気がつかぬうちに過ぎてしまう。ぼくがこんなことを言うのは、その時機を逃して後悔している者を大勢知っているからだ」- [link] https://t2aki.doncha.net/books.pl?bookid=117
- 「今なら間に合うという時機がある」
- 炎の終り
- 「女の気持ちが分かってないわ」
「そうかも知れない。だから女に逃げられた。だが、愛したことはある」- [link] https://t2aki.doncha.net/books.pl?bookid=118
- 「女の気持ちが分かってないわ」
- 幻の殺意
- 疑う術も知らずに信じきっていた生活がすべて幻影にすぎなかった。惨めな気持ちだった。その惨めさに気づいている自分がやり切れなかった。
- [link] https://t2aki.doncha.net/books.pl?bookid=158
- 幻の殺意
- 自分の内部の大事な物を抑えつけて生きているようだ。わたしは彼が飢えているような気がした。あの悲しい眼は飢えを知りながら満たされることを諦めた眼ではないのか。
しかし何に飢えているのか、それを愛だと言ったら彼は大声で笑うだろう- [link] https://t2aki.doncha.net/books.pl?bookid=160
- 自分の内部の大事な物を抑えつけて生きているようだ。わたしは彼が飢えているような気がした。あの悲しい眼は飢えを知りながら満たされることを諦めた眼ではないのか。
- 真夜中の男
- ――ぼくは旅をするような気持ちで彼女の過去を辿ろうとしている。そしてこの旅が終わったらやり直しの人生を始めようと思っている」
「ロマンチックなのね」
「そうじゃない。自分の気持ちにけりをつけたいんです」
「何となくわかるわ。あなたの気持ち。あたしも何度もやり直そうとした。でも駄目だった。いつまで経ってもけりがつかないわ。けりなんて一生つかないわね」- [link] https://t2aki.doncha.net/books.pl?bookid=237
- ――ぼくは旅をするような気持ちで彼女の過去を辿ろうとしている。そしてこの旅が終わったらやり直しの人生を始めようと思っている」
- 真夜中の男
- 過去は過去だという考え方はできなかった。もし新しい人生が始まるとしたら、その前に片付けておかなければならないことがあった。
- [link] https://t2aki.doncha.net/books.pl?bookid=238
- 日本推理作家協会賞受賞作全集 17
- 「おれも足を洗うつもりだ」
「足ってものは洗うときれいになりますか」- [link] https://t2aki.doncha.net/books.pl?bookid=321
- 「おれも足を洗うつもりだ」
- 「ぼくは肝心なことを聞き忘れていた。きみは何をしにここへきたんだ」
五郎は暗い窓に向かって言った
「分からない。あなたがやさしかったせいかも知れないわ」- [link] https://t2aki.doncha.net/books.pl?bookid=322
- 「ぼくは肝心なことを聞き忘れていた。きみは何をしにここへきたんだ」