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『猫神リスペクト』(日野裕太郎・てぃるよし)

定価400円(Amazonプライム会員0円)

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【ファンタジー連作】
猫が猫神様になるには、試験・審査期間が必要です。

猫神になりたくて試験を受ける猫。
なりゆきで猫神の審査を受ける猫。

ひとと一緒に過ごしてきた大切な時間、大切な場所を失うことになっても、猫神試験を受ければ取り戻すことができる。
猫神となってふたたび、ひととの時間を取り戻す。優しく見つめる視線の先にはいつも一緒、いつもの居場所。

猫神たちのファンタジー。

文庫 約77ページ(1ページ 39字詰め 18行)

猫神である必要はどこにもないのではないか? 彼女は家人も家人の子供もいない静かな家で、ひとりきりだった。返答のない問いかけを壁に投げかける。
どうしたら猫神である身を喜べる? 家人が天寿をまっとうする直前、彼女に遺すといい、没後法的に彼女のものとなった家で首をかしげる。家は静かだ。
猫のままだったらよかったのではないか? 彼女は家人の子供が成人し、子をなさずに伴侶と人生を終えるのを見ていた。
猫神にならなければ、誰かが自分の死を悼み苦しみ儚いと涙しただろうか? 自分が家人や――その子供らにそうしたように。
猫のままであれば、こんな思いはしなかったのに。
じくじくと暗い思考が沁みだしては消える。いやなにおいを残して消える。嗅ぎ取れるようなにおいではないのに、胸の奥ににおいが澱みたいに重なっていく気がした。そしてそれは消えない。思考の余韻が彼女の胸を圧迫する。
はだしの爪先は冷え、感覚がなかった。
彼女は仏間で足を崩した。
位牌はふたつ。毎日磨くが、表面に彫られた戒名が消えることはない。

【Amazonでレビューいただきました】

【サンプル】

 猫神の場所
 ※ 猫たちが猫神になるためには、試験、審査期間が必要と
なります。
 
 1 遠い場所に
 
 モモはふてくされたまま、カゴから出なかった。
 勝手に出された猫神認定試験、勝手に通った猫神認定試験、
勝手に猫神に勧請かんじょうされる日程が決まり、勝手にモモは家から遠
い場所に放り出された。
 担当官は困ったような顔をしてやって来た。カゴの扉からの
ぞく目を、モモは不機嫌ににらむ。
「そろそろ出ていらっしゃいな」
 断る、というかわりに、モモは全身の毛を逆立てて耳を後ろ
に倒す。
「ご飯もトイレも、困ってるでしょう」
 確かに困っている。
 ここ二日間、飲まず食わずになっていた。おなかが空いての
どがかわいて、担当官のくっきりはっきりした顔が時々ぼやけ
る。カゴに敷いてあるバスタオルも、もうなつかしい家のにお

いではない。粗相のいやなにおいで汚れてしまっていた。
「とりあえず、出ていらっしゃいな」
 断る、というかわりに、モモはうずくまっていた身体を起こ
して威嚇いかくの姿勢を取る。
 猫神になんてなるもんか、と胸に渦巻く怒りに似た気持ちを
噛みしめる。うちになんて帰らない、と自分をこんな見も知ら
ぬ場所に放り出した飼い主の顔を思い出す。
 思い出すと、せつなかった。
 帰らない、と思ったばかりの頭で、帰りたい、と思った。
「怒ってばっかりいないで、とにかくご飯にしましょう」
 断る、というかわりに、モモは嵐を吹こうとして――唐突に
身体の力が抜けた。
 ちいさな白猫の身体は横倒しになって、そのまま意識がなく
なった。
 
 2 猫神になること
 
 強情な子よねぇ、と苦笑をはらんだ担当官の声に、うるさい、
とこたえて、モモは我が耳を疑った。
 誰かが自分の気持ちを代弁した、と思った瞬間、モモはさと

も事態を悟った。
 勧請が済んでいる。
 猫神になっていた。
 目の前にかざした手は人間そのもの、五本の指を持っている。
白い前肢はなくなってしまった。
「体力が落ちてたから、勧請させてもらいましたよ」
「なんで勝手なことするの!」
 抗議しても、担当官は意に介す様子がない。
「許可はありますから、問題になりません」
「あたしはやだったもん!」
「猫神になるのもいいものよ」
「猫神じゃないのも、いいんだもん!」
 寝台の枕を投げつけて、掛け布団を頭からかぶった。担当官
とがめ立てせず、一度部屋を出てまた戻って来た。すると部屋
に暖かくていいにおいが満ちる――腹が鳴った。
「ご飯、ここに置いておくわね。冷めないうちにどうぞ」
 また出て行く物音がして、モモはしばらく気配をうかがった。
本当に部屋から出て行ったか。腹の虫が食べもののにおいに大
騒ぎする。たまらず布団から顔を出した。
 ちいさなテーブルにトレイが置いてあって、雑炊ぞうすいと小鉢が乗

っている。ふんだんに乗せられたかつおぶしが、なんともいえ
ない芳香を放っていた。
 また腹が鳴る。空腹過ぎて、なんだかおなかが痛い。
 モモはれんげで雑炊を食べてみた。食事をすることが不思議
だった。
 家族がそうしているのを見ていたから、食事の仕方はわかっ
ている。自分がそうしているのが妙な感じだ。当たり前にれん
げを持てる。まるで自分の手ではないように、スムーズに食事
ができる。
 暖かいというより熱い雑炊を、はふはふいいながら夢中で食
べた。こんなに熱い食べものを口にするのははじめてだ。いま
まで家族が食べていた湯気の立つ食事は、こんなにもおいしか
ったのか。満腹になってからつくづく思った。
 モモの家族は、おとうさんとおかあさんだ。
 食事が終わると、みんな食器を片づけていた。自分もそうす
るべきだろう。だが部屋に台所はない。どこに持っていけばい
いのか。
 扉を開けておもてを見ると、長い廊下の向こうから派手な格
好をした猫神がやって来る。
 頭についている三角形の耳は、片方に大きな欠けがあった。

ふかふかで茶色の和毛にこげみたいな髪の毛の中央にあるのは、おも
しろい顔だ。着物から出ているしっぽは先が割れて又になって
いる――モモのものとおなじである。
 人間の身体になっているのに、相手の頭は猫のままだ。
 近くに来ると、さらに相手の様子がわかる。見間違いではな
く、顔にも茶色の毛が生え、猫そのものだ。肩から上だけ猫と
いう、不格好で半端な姿なのだった。
 扉の影から見ていることにとっくに気がついている相手は、
ずっとモモを見ていた。
 腕をのばせば届く距離で、相手は足を止めた。
「こら、嬢ちゃん。おっさんのこと、そんなにじろじろ見るん
じゃない」
「モモだよ」
「名前か、それ」
 相手はモモを見下ろしている。
「そうだよ。おじさん大きいね」
「おおよ、おっさんはボス猫やってたんだ」
「ボスなの、すごいね! だからかたっぽ怪我してるの?」
 相手の耳を指さすと、茶色い毛並みがさざめくほどの笑い声
を上げた。

「これは鉄線にひっかけたんだ。喧嘩傷じゃない」
「うっかりなの?」
「うっかりだ。ところで嬢ちゃんは、猫神になって何日だ? 
はじめて会うよな?」
「さっきからだよ、たぶん」
「そうかそうか。おめでとう」
 相手はかがんだが、それでも威圧感があるほど大きい。目線の
高さがおなじになると、顔の造作のおもしろさにモモは嬉しく
なった。
「へんな顔」
「うん、へんな顔なんだよ。これじゃ、現世に帰るに帰れなく
てなぁ」
「げんせ?」
「あっちの世界だ。嬢ちゃんが住んでたとこ、だな。おうちの
ある」
「……おじさん、帰れないの?」
 モモはいやな気持ちになる。
 対照的に、相手はのんびりと顔をかく。その手はつるつるの
きれいな人間の手だった。
「こんな顔で帰ったら、現世のみんながびっくりすると思わな

いか?」
 モモは首を振った。
「帰って来たら、きっとうれしいよ。へんな顔だから、きっと
楽しいよ」
「そうかなぁ。……嬢ちゃん、いくつだ」
「わかんない」
「ここんなか、案内しようか?」
「ここ、楽しい?」
「楽しいかどうか、見て回ろうか」
 手を差し出されて、モモは迷わずにぎった。
 おじさんは、モモとならんでゆっくり歩いた。
 建物にくわしいらしく、おじさんは通り過ぎる部屋を指さし、
なにをする部屋かひとつずつ教えてくれる。廊下を行くと、会
う猫神がみんな笑顔で挨拶して来た。かたわらのモモを見て、
邪険にする猫神はいなかった。新しい友達だね、といわれると
モモは嬉しかった。
 モモは食堂が気に入った。いつもおいしそうで暖かいにおい
に満ちていて、うちの台所みたいだった。
 うちでは、台所とこたつの置いてある居間が続きの部屋にな
っていた。おかあさんの飲むお茶のにおいがして、おとうさん

のつまむお菓子のにおいがいつもしているのだ。教わらなくて
も、モモがおいしいと感じるものがあれば、すぐわかった。
 モモは自分の手を見た。にぎったり開いたりしてみる。これ
なら包丁や食器を扱える。おかあさんの手伝いができるかもし
れない。
 台所の次に気に入ったのは、庭園だった。
 花がたくさん咲いていた――たくさんの種類の花が満開に咲
いて、花壇のまわりには大きな木がたくさん生えている。
 すてき、とモモはつぶやいた。
 こういう場所をすてきというのだと知っていた。おかあさん
が見ているテレビで、こういう風景が映ると、すてきと必ずい
っていたのだ。これからはすてきだと思ったら、おかあさんに
わかる言葉で伝えられる。
 うちのちいさな庭にも花壇があって、いいにおいがしていた。
ここの花壇の方がいっぱい花が咲いていて、色々ないいにおい
がしている。
 モモはおじさんの手を放して、花壇の間の小道を駆け出した。
「転ぶなよ、花は逃げないぞぉ、ゆっくり行け」
 おじさんに返事をしようと振り返ると、おろそかになった足
が小石を踏んでしまった。

 モモはあっけなく転倒した。
 頭から花壇に突っこんだモモを助けに、おじさんが走って来
た。
 花のおかげで痛くなかった――花の布団に飛びこむようで、
とても楽しい経験だった。モモがけらけら笑っていると、おじ
さんも笑い出す。
「これだから子供は」
「お花、だいじょうぶかな」
「嬢ちゃんくらいなら、軽いから平気だろ」
 倒れた花に謝りながら、モモはいいにおいを思い切り吸いこ
む。
 こんなにたくさんのいいにおいがする場所は、はじめてだっ
た。いろんな季節のにおいがする。
 だけど、とモモは身なりを整えながら思う――うちの庭のほ
うがいいにおいだ。こたつの季節はいいにおいがしないが、だ
けどおうちはモモの好きなにおいがしているのだ。
「もう爪ぎできないね」
 ちいさな爪を見て、そして大きな木を見上げた。
「でも、たまにしたくなるぞ」
 休憩しようといって、おじさんはモモを談話室に案内してく

れた。
 そこは大きな部屋で、モモの家よりずっと広い。たくさんの
猫神がいて、だがモモとおなじくらいの身体つきのものはいな
い。
 
(※ 本編に続く)














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